自己学習モンテカルロ法が直面した壁
── 研究課題名にもある「自己学習モンテカルロ法」について教えてください。
モンテカルロ法は、乱数を使ったシミュレーションを繰り返し、複雑な問題を解く手法で、科学全般で使われてきました。その後、AI技術の一つである機械学習を取り入れ、シミュレーション結果を学習してモデルを改善し、そのモデルで再びシミュレーションする手法が開発されました。
しかし、AIは時に嘘をつきます。事実ではない内容を、あたかも事実であるかのように出力してしまう現象は、ハルシネーションと呼ばれます。この問題を防ぎつつ高い精度のシミュレーションを実現できるのが、自己学習モンテカルロ法です。
── どのようにしてハルシネーションを防ぐのでしょうか。
機械学習による計算を行う「生徒」と、第一原理計算のような物理法則に基づく計算を行う「先生」に例えると、理解しやすいでしょう。
生徒は機械学習を用いて問題を解き続け、先生は時々やって来て答え合わせをします。生徒の答えが、第一原理計算による先生の答えと合っていれば「続けてよい」、間違っていれば「もっと学習しなさい」とし、このやりとりを繰り返します。先生のチェックが入ることで、機械学習を使いながらも、科学的に信頼できる結果が得られます。
しかし、この自己学習モンテカルロ法にも難点がありました。
── 自己学習モンテカルロ法の難点とは?
自己学習モンテカルロ法では、機械学習と第一原理計算という二つの処理を同時に実行しなければなりません。この二つは、性質も方法もまったく異なります。
従来のスーパーコンピュータ(スパコン)では、CPUが主なプロセッサとして用いられてきました。CPUは、第一原理計算によるシミュレーションは得意ですが、機械学習は不得意です。そのため、CPUで機械学習を行うと、処理が遅くなります。その結果、自己学習モンテカルロ法の良さを十分に引き出せていませんでした。
CPUとGPU、それぞれの得意を活かす
── 自己学習モンテカルロ法の難点を、どのように解決しようと考えたのですか。
機械学習にはGPUが適しています。近年はGPUを搭載したスパコンも増えています。そこで、第一原理計算によるシミュレーションはCPUで、機械学習はGPUでと、それぞれの得意な処理を行えばよいと考えました。
── CPUとGPUを同時に利用するという手法は、これまでになかったのでしょうか。
すでに実績のある分野もあります。しかし、私が注目している物性物理の分野では、手付かずでした。そこで、JHPCN共同研究課題に応募したのです。
Wisteriaと専門家紹介──JHPCNを選んだ理由
── スパコン利用の公募は、さまざまな機関で行われています。なぜJHPCNに応募したのでしょうか。
東京大学情報基盤センターのWisteria/BDEC-01を利用できることが、JHPCNを選んだ大きな理由です。
Wisteria/BDEC-01は、CPUがメインのOdysseyとGPUがメインのAquariusで構成されています図1。珍しい構成で、それが私たちの目的に合っていました。
図1 Wisteria/BDEC-01
Wisteria/BDEC-01は、プロセッサとしてCPUを搭載したOdyssey(左)とGPUを搭載したAquarius(右)で構成されている。Odysseyで第一原理計算によるシミュレーションを、Aquariusで機械学習を行う。東京大学情報基盤センターが運用。
Wisteria/BDEC-01は、プロセッサとしてCPUを搭載したOdyssey(上)とGPUを搭載したAquarius(下)で構成されている。Odysseyで第一原理計算によるシミュレーションを、Aquariusで機械学習を行う。東京大学情報基盤センターが運用。
── 応募まではスムーズに進みましたか。
一つ懸念がありました。CPUとGPUを同時に使えるようにするには計算機に関する専門知識が不可欠です。
私の専門は計算物理学で、機械学習をはじめとする最先端の計算科学技術を活用し、物性物理学の新たな可能性を切り拓く研究に取り組んでいます。自己学習モンテカルロ法の開発にも長年携わってきました。ただし計算機そのものには詳しくないため、一緒に取り組んでくれる計算機科学の専門家を探す必要がありました。
そこで、JHPCNの事務局に相談しました。計算機科学などの専門家を紹介してもらえるのです。東京大学情報基盤センターのスーパーコンピューティング研究部門に所属する中島研吾先生をご紹介いただき、研究内容についてもアドバイスを受けながら応募しました。
1,000倍以上の高速化と第一原理計算の精度を両立
── どのような開発を行ったのか教えてください。
対象としたのは、分子動力学シミュレーションソフトウェア
「PIMD」です。日本原子力研究開発機構の志賀基之氏が開発したもので、バージョンアップの際に自己学習モンテカルロ法の機能が追加されました。その部分のコードを書いたのは私です。ただし、機械学習もCPUで動作するように設計されていました。
今回は、第一原理計算によるシミュレーションをCPUで、機械学習をGPUで並行して実行できるようにコードを改修しました。
── 難しかった点はどこですか。
CPUとGPUのタイミングを合わせることです。例えば食事の準備で、おかずができたときにご飯が炊けていないと、待ち時間が生じます。おかずとご飯が同時にできるのが理想です。CPUとGPUも同様に、どちらも待ち時間なく常に働いている状態にしたいのです。
そのためには、CPUとGPUの状況を見ながら、それぞれに行わせる処理を調整しなければなりません。そこが最も難しい点でした。まだ多少の待ち時間は発生しますが、実用的なレベルには到達しています。
── CPUとGPUを同時に利用することで、どのくらい速くなったのですか。
機械学習を用いた分子動力学計算は、第一原理計算と比べて、条件によっては1,000倍以上高速になります。
自己学習モンテカルロ法では、GPUで機械学習を用いた計算を高速に行い、その結果をそのまま採用するのではなく、CPUで行う第一原理計算で確認し受け入れてよいかを判定します。両者を並行して実行することで、機械学習による計算を高速化しながら、最終的には第一原理計算の精度と両立できるようになりました。
材料開発をはじめ、さまざまな分野への応用に期待
── どのようなことに利用できるのでしょうか。
材料開発におけるスクリーニングに役立ちます。材料には膨大な組み合わせがあり、すべてを実験で検証することは現実的ではありません。私たちが開発した機能により、膨大な候補から有望なものを高速かつ高精度に絞り込めます。
分子動力学シミュレーションは、創薬、生命科学、化学など幅広い分野で必要とされています。そのため、今回開発した機能は、さまざまな分野で需要があるでしょう。「PIMD」はオープンソースソフトウェアであり、追加した機能も公開し、多くの方に利用いただけるようにする予定です。
この研究課題には、2024年度に続き、2025年度も取り組みました。2年目は、開発を進める一方、成果の普及・発信にも力を入れました。国内外の大学や企業で紹介したところ、さまざまな分野の研究者から強い関心が寄せられています。
── 2024年度の取り組みが優秀課題賞に選ばれました。どのような点が評価されたとお考えですか。
物性物理分野でのCPUとGPUの同時利用に挑戦したことや、応用の幅広さを評価していただけたのではないでしょうか。
「機械学習 まるでわからん」に込めた思い
── Tシャツには「機械学習 まるでわからん」と書かれていますね。
機械学習を研究に取り入れたいものの、ハードルが高いと感じている人も多いようです。でも、よくわからない状態から始めても何とかなる、まずはやってみませんか、と伝えたくてこのTシャツをつくりました。
── 永井准教授が研究に機械学習を取り入れたのは、いつからですか。
私のバックグラウンドは物理学で、大学院では超伝導の研究をしていました。機械学習を取り入れたのは2016年ごろです。当時、機械学習を活用したコンピュータ囲碁プログラム「AlphaGo」がプロ棋士に勝ったことが話題になっていました。物理にも機械学習を使えるのではないかと考え、世界中の研究者たちが可能性を探り始めました。私もその流れに乗った一人です。はやりものが好きなんです。
── AI特有の難しさはありますか。
技術の進展があまりにも速いことです。新しいAI技術を取り入れている間に、より優れた技術が次々と登場します。そこで、新しい機能を導入しやすい基盤の構築にも取り組んでいます。
ネットワークが広がり、研究が発展する
── JHPCN共同研究課題を利用して良かった点を教えてください。
先ほどもお話ししたように、計算機科学の専門家を紹介いただいたことです。分野が違うと所属学会も異なるため、知り合いがいませんでした。その点、JHPCNを構成する8つの拠点には、計算科学、データ科学、計算機科学を専門とする研究者が所属しています。応募前に相談し、研究内容や目的に合った研究者を紹介してもらえたことで、素晴らしい共同研究体制を築けて研究も大きく発展しました。
また、JHPCNでは年に1回シンポジウムが開催されます。共同研究課題は分野も内容も幅広く、このシンポジウムは異分野の研究者と交流できる貴重な機会です。私は将来のコラボレーションの種をまく場として活用しています。
共同研究課題が採択されると、
JHPCNの構成拠点が運用するスパコンなどを無償で利用できます。しかも、スパコンはそれぞれタイプが異なり、それらを組み合わせて利用することも可能です。私は2025年度の研究課題で、東京大学情報基盤センターのWisteria/BDEC-01に加えて最先端共同HPC基盤施設(JCAHPC)のMiyabiも利用しました。課題申込書の記入は少し複雑になりますが、個別に利用申請することを考えるとはるかに楽です。
計算機科学の専門家を紹介してもらえたことで新たなつながりが生まれ研究も大きく前進しました
── 永井佑紀 氏
── 最後に、共同研究課題への応募を検討している研究者へのメッセージをお願いします。
「学際大規模情報基盤共同利用・共同研究拠点」という名前のとおり、JHPCNは、計算科学・データ科学・計算機科学と、自然科学から工学、人文科学まで幅広い分野との「学際的」な共同研究をサポートすることを目的としています。
計算科学・データ科学・計算機科学の知見を組み合わせたり、スパコンを使ったりすることで、自身の研究を発展させたいと考えている方には、特に向いていると思います。「機械学習を取り入れたいけれども、まるでわからん」という方にもお勧めです。構成拠点には機械学習の専門家もいますから、ぜひJHPCN事務局に相談してみてください。
取材・構成:鈴木志乃/フォトンクリエイト
撮影:石渡菜々子/STUDIO CAC